PING HOLE第一弾となる「私の知らない彼らのヒミツ(出演:伊東健人、中島ヨシキ)」発売を記念して
シナリオの鈴木チーズ先生より、書き下ろしショートストーリーをいただきました!
CDとあわせて、こちらも是非チェックしてくださいね♪
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そう興味深そうに瞳をきらめかせたのは、俺たちの関係を唯一知る少女だった。
「どうしたの? 突然」
「だって、先生と生徒な上に同性なんて茨の道もいいところじゃないですか。
興味だって持ちますよ」
片付けの手を休めることなく尋ねれば、心なしか浮ついた声が続く。普段は落ち着いた雰囲気の彼女も、年頃の少女らしく恋愛話には興味が尽きないらしい。
「で、どうなんですか? 先生」
そう言って振り向いた彼女はもう完全に聞く体勢になっている様で、こちらの返事を今か今かと待っている。どうやら今日も準備室の片づけはお預けになりそうだ。
旧準備室であったこの部屋に荷物を移動してからしばらく経つというのに、多すぎる荷物のせいか、乱雑とした部屋の整理はあまり進んではいなかった。だからと暇を持て余していたこの少女にジュース一本で手伝いを頼んだというのに、今回はそれが裏目に出たようだ。
「……って言ってもなぁ。特に話すようなことは無いと思うけど」
「それでもいいから教えてくださいよ。
それに、私には話を聞く権利があると思うんですよね」
「はは、そこを突かれるは痛いな」
彼女が言っているのは、学校に閉じ込められたあの雪の振り積もる夜の事だろう。今思えば大人げなく見せつけてしまった自覚もあるので、その事を盾にされれば嫌とは言えなくなってしまう。そう。たしかあの日もこんな風に準備室の片づけをしていたんだったか。
「なら、この事も俺と君とのヒミツってことで」
「もちろんです」
わざとらしく唇に指を添えて声を潜めれば、心得たとばかりに彼女が頷く。これで充希に言えないヒミツがまた一つ増えてしまった。
まぁ、盛大に惚気られるいい機会だと思えばそれも悪くないか。秘められた関係だからというだけでなく、恋人同士の秘め事は軽々しく他人に話すものではないと思っている年下の恋人の前では、惚気話もうかつに出来ないのだ。
「うーん、どこから話せばいいかな。元々図書委員会で一緒だったのは知ってる?」
「はい、前に磯ヶ谷くんに聞きました」
「そっか。その顔合わせで初めて会ったんだけどね、最初は、随分と不器用そうなやつがいるなぁって思ったんだ。いるじゃない?真面目すぎて周りから浮いちゃう子」
まさしく充希はそのタイプだった。素直で真面目。そう言えば聞こえは良いが、それゆえの頑なさで同年代の子供達には距離を置かれていたように思う。
また、それ故の孤独を充希自身が受け入れてしまっていた事が、さらに状況の軟化を遅らせていたんだろう。
そう言えば、少女は少し驚いたように瞳を丸くした。
「真面目だけど、磯ヶ谷くんすごく優しいしそんな風に見えませんけど……」
「今はね。2年に上がる頃にはだいぶ周りとも馴染めるようになってたよ」
「それって先生と付き合うようになったから、ですか?」
「どうかな。……そうだといいけど」
自分が昔から要領良くこなすタイプだったせいか、もっとうまくやればいいのに、なんて初めは他人事のように思っていた。
親切で手を差し伸べても、不器用すぎる言葉選びで他人を怒らせてしまったり、逆に委縮させてしまったりと、見ている周りがハラハラするくらい充希は人づきあいが下手だったから。
あの時もそんな些細な事がきっかけのもめ事だった。
その日は試験直後だったせいか、静かな環境を求め勉強に励む生徒も少なく、放課後の図書室はいつも以上に閑散としていた。
たまには、こんなのんびりとした放課後も悪くないな。
いつもは休み時間や放課後になるたびに押しかけてくる女子生徒も今日に限っては試験後の解放感を味わいたいのだろう。図書室に辿り着くまでにすれ違った何人かは、話に花を咲かせることもなく薄情なほど晴れ晴れとした顔で帰って行った。
古い本特有の、ややカビと埃の合わさった独特の匂いは嫌いではない。
せっかく来たのだからと次の授業で使用するための資料を探しながら本棚の隙間を縫うように歩いていると、見知った臙脂色の背表紙を見つける。懐かしさに駆られて学生時代に幾度となく読んだその本を手に取ると、変わらぬ重さが手のひらにずしりとかかった。
やや焼けて変色した背表紙をそろりと撫で、いざ一ページ目をめくろうとハードカバーに手をかけた時、突然その少女の声が響いた。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」
相手を責めるように叫ぶその声は、どうやら入り口近くのカウンターから聞こえてきているらしい。となれば、少なくともこのもめ事に関係しているのは図書委員だろう。
見て見ぬふりは出来ないか。小さくひとつ溜息をつくと、手にしていた本をついさっき引き抜いた隙間へと押し戻す。
正直めんどくさいとは、仮にも教職についている人間が言うべきではないことくらい、自分でもわかっている。これも仕事だと頭を切り替え、もめ事の渦中へと大股で近づいていった。
「おいおい、どうしたんだ?」
振り返った女子生徒は、案の定見慣れた図書委員の一人だった。
俺の顔を見ると、ここが図書室だった事を思い出したのか少しだけ恥ずかしそうに顔をうつむかせる。このまま冷静になってくれればいいんだけど、まぁそううまくは行くはずもない。
「別に、僕は思ったままを言っただけなので」
「だからその言い方がひどいって言ってるんじゃない」
静まった怒りは、それを向けられていた充希の言葉で瞬く間に再熱してしまう。
俺に向けられた少女らしい表情とは打って変わって、眉間に寄せられたしわは深く、引き結んだ唇はへの字に曲がっている。それを真正面で受けているのに、充希がなんでもない顔をしているのが余計に気に障るのだろう。
「で、磯ヶ谷は一体彼女になんて言ったんだ?」
「彼女に、居ても居なくても変わらないからもう帰っていいですよ、と正直に言っただけです」
ふたりの間を取り持つように充希に聞けば、にべもなし、とばかりにきっぱりと言い切った。
なんというか、もう少し言い方があるだろう、と言いたい彼女の気持ちは俺にもわかる。
やや同情めいた視線で彼女を見れば、繰り返された言葉にとうとうメーターが振り切れてしまったのだろう、「ならひとりでやればいいじゃない!」と一言捨て台詞を残して図書室から出て行ってしまった。
ガチャン、とやや滑りの悪い図書室の引き戸が盛大に音を立てると、二人きりで残された充希との間にはさっきまで以上の静けさが訪れる。
「まぁ、なんだ。先生も、もう少し優しい言い方をした方がいいと思うぞ?」
紛らわすように苦笑いを浮かべれば、腑に落ちないとばかりに充希がぎゅっと眉間にしわを寄せる。
さっきまで怒りをぶつけられていた時には変わらなかった表情が分かりやすく変化するのが少し面白くて、思わず鼻から息が抜ける。笑われたと思ったのか、少ししわが深くなるのがまた面白い。
いつもこんな風に表情に出せばいいのに。お堅い雰囲気が先行しているがよく見れば整った顔をしているし、まだ見たことは無いけれど笑えばきっと可愛らしいに違いない。
……男に可愛いってなんだ。
「なんで磯ヶ谷はあんなことをあの子に言ったんだ?」
思いついた単語を誤魔化すように充希へ話しかける。
今までのことを考えると、別に彼女が仕事をしなくて邪魔だったからとか、単純に目障りだったとかそんな理由で帰らせようとしたわけではないのだろう。
きっと、充希の中では問題式がきちんとあって、より簡潔に導き出された回答がさっきの言葉となったに違いない。そう思って辛抱強く見つめていれば、しぶしぶと言ったように充希が口を開いた。
「……彼女、昼くらいから体調悪いって言ってたんです。だから先に帰したほうがいいと思って。今日はどうせ来る人も少ないですし」
「彼女には理由はちゃんと説明したのか?」
「言う必要ありますか?」
あるに決まってるだろう。
100%善意であるはずなのに、一ミリも相手に伝わっていないと言うのはどういうことなのか。
本当にわからないといった様子で首をかしげるこの子供は想像以上に不器用なようだ。
そんなことを何度か見かけるうちに、どうにも充希から目が離せなくなっていった。
優しい子なのに、不器用なだけで損ばかりなんてもったいない。
だからそれとなく充希が当番の日に図書室に通い、なんでもない世間話をするようになっていった。たまにもめ事になりそうなのをなだめながら。
最初はそう、言い方が悪いけどボランティアみたいな気分だった筈なのにいつからか深みにはまっていたのは自分の方だったのかもしれない。
その日も、いつものようにカウンターに座る充希に話しかけていた。
午後から大きく天気が崩れていたせいもあって、その時図書室には俺たちの他に誰もいなかったから少しだけ浮かれてたのかもしれない。
いつもと充希の雰囲気が違うと気づいたのは、たわいもない会話がふと途切れて、真剣みの増した対の瞳が俺へと向けられた時だった。
「先生はなんでいつも笑ってるんですか?」
少しだけドキリとした。普段なら全く気にならない言葉のはずなのに、こちらを見つめた充希の視線が真っ直ぐすぎて嘘をついたらいけないような気にすらなった。
それでも、出てくる言葉は大人のずるい回答だったけれど。
「んー? なんでそんな事聞くの?」
「楽しくない時でも笑ってて大変じゃないのかなって……」
「……大変そうに見える?」
こくり、と充希は小さく頷いた。
「僕は、器用じゃないので楽しくなかったら笑えません。
だから先生も僕の前で無理して笑わなくたっていいんですよ?」
充希らしい不器用な優しさのにじむ言葉に、胸の奥がほんのりと暖かくなる。
けれど、充希の言葉を素直に飲み込むにはずるくなり過ぎていたようで、大人だからね、なんてごまかしが口を突いて出てしまう。
「大人って大変ですね」と小さく繰り返す充希は、俺が言葉に迷ってはぐらかした事に気づいているんだろう。
そう思えばそのまま話を終わらせることも出来なくて、伺うように充希を見つめ返した。
「でも……そっか、磯ヶ谷の前では笑わなくてもいいんだ?」
「僕は気にしません。というより、無理されたほうが気になります」
「はは、磯ヶ谷に気にしてもらえるなら笑ってるのもいいかもな」
「……人が真面目に話してるのに、からかわないでください」
「からかってなんかないんだけどなぁ……」
困ったように眉を八の字に下げると、きゅっと充希の眉間にしわが寄る。
機嫌をそこねてしまったかと不安になったが、どうやらそういう訳ではないらしい。
「そういう顔、ずるいです」
充希がほんのり染まったほほを幼子のように小さくぷくりと膨らませる。
ああ、可愛いなぁ。そう自覚してしまえば坂を転がり落ちるのは一瞬だった。
少し拗ねたようにとがる唇がたまらなくて、思わずキスをしてしまった事は目の前にいる彼女にも内緒だ。
「そこからかなぁ、もっと充希のそばに居たいって思うようになったのは」
飾らなくていいというのは思いのほか心地よかった。自覚はしていなかったけれど、相手を探り空気を読んで笑顔を作るというルーティンに随分と疲れていたみたいだ。
それ以来、充希とふたりきりの時に限っては笑うだけでなく拗ねたり意地悪したりと素直に感情を表に出すようになっていた。
「でも少しいたずらをしたせいで、その後しばらく口をきいてもらえなくてね。
まずは信用を取り戻すのに必死だったよ」
「そこからどうやって告白に持ち込んだんですか? やっぱり先生から?」
ぐい、と身を乗り出すようにして話を促す彼女に苦笑いをこぼしつつ、続きを話そうかと口を開いてあることに気づき、そのまま口をゆっくり閉じる。
「……と、今日はこの辺にしておこうか」
「ええー、なんでですか?ここからがいいところなのに!」
「残念。時間切れだよ」
そう言うのとほぼ同時に、からりと準備室の扉が軽い音を立てて開く。
その先には、急いできたのだろうか、少し息を荒くした充希が立っていた。
俺と目が合った瞬間、嬉しそうに顔を緩める。その瞬間、充希の周りがぱっと花開いたように明るく染まった。
しかしすぐに部屋にいた彼女に気づいたのだろう、慌てて表情をきゅっと引き締める。
それを俺に全部見られているとも知らずに。
「君も来てたんだ」
「ああ、でももう用事も終わったしすぐ帰るんじゃないかな?」
ね?と有無を言わせない雰囲気で目配せすれば、分かってますよ、と彼女はしぶしぶ荷物を手に取った。ここで余計なことを言わないあたりが彼女への好感が持てるところだ。
彼女には悪いが、俺たちの幸せな時間のために我慢してもらおう。
今も、彼女がいる前で俺に近づいていいものかとそわそわしているの充希が可愛くて仕方がない。なんだ、ただの天使か。
「失礼しました」と律儀に挨拶する彼女へおざなり手を振ると、ようやくいそいそと近づいてきた充希にゆっくりと手を伸ばす。
邪魔者もいなくなったことだし、まずは充希を抱きしめて冷えた身体を温めてあげるとしようか。
無自覚すぎるハニートラップにかかった俺は一生その心地よすぎる罠から抜け出せそうにない。
――充希も一緒に囚われてくれるというなら本望だけど。
俺は充希を囲い込むその腕に、一層力を込めた。
END