「私の知らない彼らのヒミツ3(出演:寺島惇太、土岐隼一)」発売を記念して
シナリオの茶乃原ゆげ先生より、書き下ろしショートストーリーをいただきました!
本編のアフターストーリーで二人の馴れ初めの話となっております。
CDとあわせて、こちらも是非チェックしてくださいね♪
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私の知らない彼らのヒミツ3SS『キミを追いかけて』 文:茶乃原ゆげ
「また来てね、尚兄」
「うん、また遊びに来るよ」
玄関先で双子の妹に微笑みかけて、尚兄の視線が俺に向く。ヒミツの合図を送り合うように、ほんの数秒、俺たちは見つめ合った。
「じゃ、じゃあな……気をつけて帰れよ」
「ありがとう、勇司。
二人とも、俺が帰ったらちゃんと玄関掛けるんだよ。おやすみ」
心配性の尚兄らしい言葉を残して、笑顔で帰っていく背中を見送る。
リビングに戻ると、俺は牛乳を片手にソファーにどかっと腰を下ろし、リモコンを手に取った。
またすぐに会えるし……。
分かっていても、さみしさが胸に来る。俺はテレビをつけると、一番にぎやかなお笑い番組にチャンネルを定めた。その時だった。
「勇司と尚兄って、何がきっかけで付き合い始めたの?」
「ブッ!!」
向かいに座るのとほぼ同じタイミングで妹に尋ねられ、俺は思わず飲んでいた牛乳を吹き出した。
「ちょっと勇司、汚い! やめてよ!」
「お前がイキナリ変なこと聞いてくるからだろ!」
「尚兄は帰ったし、お父さんとお母さんは渋滞で遅くなるみたいだし、尋問するなら今しかないでしょ!」
「尋問て……」
「突然あんなところ見せられて、私だって動揺してるの!
当然聞く権利はあるよね!?」
「う……」
今朝謝って許してもらえたと思っていたのに、やっぱり処理出来なかったらしい。
まぁ、そうだよな……。
双子の兄と幼馴染の(しかも男同士の)、あんな現場を目撃してしまったんだ。
それに、聞けばこいつも尚兄が好きだったとか言うじゃねぇか。妹が受けた衝撃を思うと、兄としては……
「マコトニスマナイと思ってる」
「普通に謝れないわけ!?」
「謝ってるだろ! 今朝だって謝ったし!
こっちは謝罪してんだから、お前もいい加減受け入れろよ!」
「だったらちゃんと説明して!
じゃないと、私もう……尚兄とどんな顔して会ったらいいか分からない。
ちゃんと心の整理をつけて、応援したいのに……」
妹はそう呟くと、複雑そうに瞳を潤ませた。
こいつは失恋して傷ついているんだ。そんな当たり前のことに今更ながら気がつく。
いつもはうざいし言い合ってばかりだけど、誰かに泣かされていたら、すっ飛んで助けに駆けつけるくらいには大事な妹だ。その原因が俺にあったとしても、こんな顔はさせたくない。俺はリモコンを取り、見ていたお笑い番組を消した。
「分かったよ、何でも話してやる。でも尚兄には言うなよ?」
「言えるわけないでしょ! 尚兄は勇司と違って繊細なんだから!」
「なっ……!」
「尚兄にはヒミツにするから、ちゃんと教えて。
二人はいつから付き合ってるの?」
「……中三の終わり」
「そんなに前から……全然気づかなかった……」
「付き合い始めてすぐ尚兄はひとり暮らし始めたしな。あと、お前鈍感だし」
「ひと言余計!」
「さっきの仕返しだ! ……で、あとは何が聞きてぇの?」
「尚兄は、もともと男が好きな人だったの?」
「たぶん、違うと思う」
「勇司は?」
「俺も……分かんね。尚兄しか好きになったことねぇし……」
物心ついた時から尚兄は心が広くて、優しくて、頭も良くて、俺にとってずっと憧れの存在だった。中学の時にはもう、この気持ちがただの憧れじゃないって気づいてた。周りが女子と付き合い始めたとか、キスしたとか、そんな話で盛り上がる中、俺はそれを尚兄としたいと思っていた。
「なぁ、もういいだろ?」
じわり、と頬が熱くなってくる。実の妹とこんな話をするのは恥ずかしいし、すげぇ居心地が悪い。早々に話を切り上げようとした俺に、妹は容赦なく尋問を続けた。
「付き合い始めたきっかけは?」
「……中三の夏だよ」 夕暮れ時だというのにちっとも涼しくならない初夏の気候に腹を立てながら、学校指定のかばんを引きずるようにして歩いていた帰り道、駅前で尚兄の姿を見かけた。次の瞬間、氷を飲み込んだみたいに胸が冷える。尚兄は同じ高校の制服を着た女と楽しそうに話していた。ふと視線を流した尚兄が俺に気づき、笑顔を広げる。
「あ、勇司……!」
「お、おう」
「近所に住んでる子だよ、幼馴染なんだ。……じゃあ、また明日ね」
尚兄はそう言って女と別れると、俺に駆け寄ってきた。
「こんなところで会うなんて珍しいね。勇司も今帰り?」
「ああ。……今の誰?」
「クラスメイトだよ」
「付き合ってんの?」
「はは、違うよ」
「ふーん……」
読めねぇ。でも、尚兄は嘘つかねぇよな……。
嘘か真か分からない笑顔をじっと見ていると、ふいに尚兄が俺の口端に触れた。思わずビクッと肩が跳ねる。
「っ、なにして……!」
「あぁ、ごめんね。口のとこ、少し切れてるみたいだったから」
三日前、目つきが悪いせいで睨んでいると因縁をつけられて、他の中学の生徒と喧嘩になった。その時の傷がまだわずかに残っていたのだ。
「こんなん、かすり傷だよ」
「また喧嘩したの?」
「先に喧嘩売ってきたのは向こうだし!」
「暴力はダメだよ」
尚兄がため息混じりに告げて、ポンと俺の頭に手を被せる。嬉しいのは一瞬だけで、すぐに胸がもやもやした。尚兄にとって俺は、いつまで子供なんだろう。三つの年の差以上に距離を感じた。
昔は尚兄に手を引かれて歩いた帰り道を、今は並んで歩く。あの頃と比べたら、身長差は少し縮まったはずだ。
「勇司は志望校もう決めたの?」
「いや、まだだけど……俺は入れるとこに適当に入るよ。
尚兄は? 大学行くんだろ?」
「うん。ちょうど行きたかった大学の指定校推薦がもらえそうなんだ」
「へー、よかったじゃん」
さすが尚兄、俺とは頭の作りが全然違う。
「ちょっと家からは遠いから、ひとり暮らしをすることになりそうだけど」
「え……。尚兄、ひとり暮らしすんの?」
「うん、自立に向けたいい機会だしね」
きっとこうして、尚兄はどんどん俺から離れて行くんだ……。
地元で一番の進学校に通う尚兄と、喧嘩っ早くて成績も悪い俺とじゃ釣り合うわけがない。家がたまたま隣同士だったから俺に構ってくれているだけで、その繋がりがなくなったらもう……。
「じゃあね、勇司……おやすみ」
「あ、おお……」
家の前で別れて、尚兄が帰っていく。好きになればなるほど、尚兄の背中が遠ざかっていくような気がした。
このままじゃダメだ。少しでも尚兄に近づきたい、相応しい人になりたい。
隣家に消えていく尚兄の背中を見送りながら、俺はある決意を固めた。 「それで尚兄と同じ高校に行くことにしたんだ?」
「ああ。同じ学校に入ったところで尚兄とは入れ違いだけど、
とにかく背中を追いかけたかったんだよ。
お前は最後まで冗談かなんかだと思ってたよな」
「だって勇司の成績であの学校に入学できるなんて、天地がひっくり返ってもないと思ってたもん」
「お前なぁ……」
尚兄と同じ高校に行きたい。そう宣言した俺に、尚兄はみんなと同じように目を丸くした。きっと妹から聞いて、俺の成績まで筒抜けだったのだろう。
「担任も母ちゃんも別の学校にしろって言うし……
アイツなんて、未だに俺の高度なギャグだと思ってる。やっぱ無謀なのかな?」
「そんなことないよ。
夏休みだってあるし、勇司が今から一生懸命勉強すれば間に合うよ」
「ほんと!? 俺、めちゃくちゃ勉強するよ!」
「ふふっ。でも、どうして俺と同じ高校に入りたいの?」
「え……まぁなんとなく?あの高校、制服かっこいいし……。
こんな理由じゃダメか?」
「ううん。どんな理由でも、勇司が勉強を頑張ろうって思ってくれて嬉しいよ。
俺は応援するからね、勇司」
そんなふうに言ってくれたのは尚兄だけだ。嬉しくて、胸がぎゅうっと締め付けられる。
「俺、頑張って尚兄と同じ高校に入りたい……。だから……
たまにでいいんだけどさ、俺の勉強みてくれない?
尚兄も受験あるし、忙しいのは分かってるんだけど……俺、勉強のやり方も分かんなくて……」
「いいに決まってる。夏休みは俺の部屋で一緒に勉強しよう」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。でも、ひとつだけ条件があるかな」
そう言うと、尚兄は悪戯っぽい視線を俺に向けて微笑んだ。
「え……なに?」
「もう喧嘩はしないって、俺と約束してくれる?
どんな理由でも暴力に訴えるのは良くないし、勇司が怪我するのは見てられないから……」
心配にそうに眉を下げた尚兄に、二つ返事で頷く。尚兄に勉強をみてもらえるなら、喧嘩を我慢するくらい簡単なことに覚えた。
それから尚兄は、嫌な顔ひとつせず、俺につきっきりで勉強を教えてくれた。
「解けたよ、尚兄!」
「じゃあ、確認するね」
「っ……」
二人きりの部屋で、尚兄が俺の手元を覗き込む。ふわりと石鹸の匂いが鼻先を掠めて、どきりと大きく心臓が跳ねた。
顔が、近い……。
「……勇司?」
「あっ、う、うん……なに、尚兄?」
「すごいよ、10問中8問正解」
「おー、少しはマシになった」
「短期間でここまで解けるようになるなんて、勇司が頑張ってる証拠だよ」
「な、尚兄の教え方がうまいからだよ……」
「不正解だったところも、本当に惜しいミスだったんだよ」
尚兄がそう言って、間違えた問題を丁寧に解説してくれる。ちらちらと視界に入る尚兄の細くて白い首筋や、大きくて筋張った手にドキドキして、そっと視線を逸らした。
今は勉強に集中しないと……。
浮き立つ心を必死に抑えて、覚悟を決める。
高校に合格したら、尚兄に気持ちを伝えよう。 「そう決めたはずだったんだけど……」
俺は気持ちを抑えられず、尚兄の優しさにつけこむようなことを言ってしまったんだ。
「だけど、なによ?」
言葉を詰まらせた俺に、妹がどこか不機嫌そうに尋ねる。
「あ、いやぁー……」
「もういいよ」
尚も口ごもると、妹は呆れたように言い放ち、席を立った。
「どこ行くんだ?」
「お風呂入るの! もう惚気は聞き飽きたし」
「の、のろけじゃねーし! お前が話せって言うから話したんだろ!」
「惚気にしか聞こえませーん」
「……あ、待て!」
最後にひとつ気になることがあって、妹の背中を呼び止める。
「なに?」
「お前、本当に尚兄のことが好きだったのか?」
「好きだったよ。でも、今思えば憧れだったのかもしれないね」
「え?」
「お風呂でもトイレでも英単語ぶつぶつ唱えてたり、
熱出してフラフラになりながら机に噛り付いて勉強続けたり……
勇司はすごく頑張ってたよ。
私は好きな人のために、そこまで一生懸命にはなれない」
「お前……」
実の妹に認めてもらえることが、こんなにも心強いものだったなんて……。
俺たちには、最強の味方が出来たのかもしれない。
「まーお幸せに」
ニッと笑って、妹はリビングを去っていった。
「うん、また遊びに来るよ」
玄関先で双子の妹に微笑みかけて、尚兄の視線が俺に向く。ヒミツの合図を送り合うように、ほんの数秒、俺たちは見つめ合った。
「じゃ、じゃあな……気をつけて帰れよ」
「ありがとう、勇司。
二人とも、俺が帰ったらちゃんと玄関掛けるんだよ。おやすみ」
心配性の尚兄らしい言葉を残して、笑顔で帰っていく背中を見送る。
リビングに戻ると、俺は牛乳を片手にソファーにどかっと腰を下ろし、リモコンを手に取った。
またすぐに会えるし……。
分かっていても、さみしさが胸に来る。俺はテレビをつけると、一番にぎやかなお笑い番組にチャンネルを定めた。その時だった。
「勇司と尚兄って、何がきっかけで付き合い始めたの?」
「ブッ!!」
向かいに座るのとほぼ同じタイミングで妹に尋ねられ、俺は思わず飲んでいた牛乳を吹き出した。
「ちょっと勇司、汚い! やめてよ!」
「お前がイキナリ変なこと聞いてくるからだろ!」
「尚兄は帰ったし、お父さんとお母さんは渋滞で遅くなるみたいだし、尋問するなら今しかないでしょ!」
「尋問て……」
「突然あんなところ見せられて、私だって動揺してるの!
当然聞く権利はあるよね!?」
「う……」
今朝謝って許してもらえたと思っていたのに、やっぱり処理出来なかったらしい。
まぁ、そうだよな……。
双子の兄と幼馴染の(しかも男同士の)、あんな現場を目撃してしまったんだ。
それに、聞けばこいつも尚兄が好きだったとか言うじゃねぇか。妹が受けた衝撃を思うと、兄としては……
「マコトニスマナイと思ってる」
「普通に謝れないわけ!?」
「謝ってるだろ! 今朝だって謝ったし!
こっちは謝罪してんだから、お前もいい加減受け入れろよ!」
「だったらちゃんと説明して!
じゃないと、私もう……尚兄とどんな顔して会ったらいいか分からない。
ちゃんと心の整理をつけて、応援したいのに……」
妹はそう呟くと、複雑そうに瞳を潤ませた。
こいつは失恋して傷ついているんだ。そんな当たり前のことに今更ながら気がつく。
いつもはうざいし言い合ってばかりだけど、誰かに泣かされていたら、すっ飛んで助けに駆けつけるくらいには大事な妹だ。その原因が俺にあったとしても、こんな顔はさせたくない。俺はリモコンを取り、見ていたお笑い番組を消した。
「分かったよ、何でも話してやる。でも尚兄には言うなよ?」
「言えるわけないでしょ! 尚兄は勇司と違って繊細なんだから!」
「なっ……!」
「尚兄にはヒミツにするから、ちゃんと教えて。
二人はいつから付き合ってるの?」
「……中三の終わり」
「そんなに前から……全然気づかなかった……」
「付き合い始めてすぐ尚兄はひとり暮らし始めたしな。あと、お前鈍感だし」
「ひと言余計!」
「さっきの仕返しだ! ……で、あとは何が聞きてぇの?」
「尚兄は、もともと男が好きな人だったの?」
「たぶん、違うと思う」
「勇司は?」
「俺も……分かんね。尚兄しか好きになったことねぇし……」
物心ついた時から尚兄は心が広くて、優しくて、頭も良くて、俺にとってずっと憧れの存在だった。中学の時にはもう、この気持ちがただの憧れじゃないって気づいてた。周りが女子と付き合い始めたとか、キスしたとか、そんな話で盛り上がる中、俺はそれを尚兄としたいと思っていた。
「なぁ、もういいだろ?」
じわり、と頬が熱くなってくる。実の妹とこんな話をするのは恥ずかしいし、すげぇ居心地が悪い。早々に話を切り上げようとした俺に、妹は容赦なく尋問を続けた。
「付き合い始めたきっかけは?」
「……中三の夏だよ」 夕暮れ時だというのにちっとも涼しくならない初夏の気候に腹を立てながら、学校指定のかばんを引きずるようにして歩いていた帰り道、駅前で尚兄の姿を見かけた。次の瞬間、氷を飲み込んだみたいに胸が冷える。尚兄は同じ高校の制服を着た女と楽しそうに話していた。ふと視線を流した尚兄が俺に気づき、笑顔を広げる。
「あ、勇司……!」
「お、おう」
「近所に住んでる子だよ、幼馴染なんだ。……じゃあ、また明日ね」
尚兄はそう言って女と別れると、俺に駆け寄ってきた。
「こんなところで会うなんて珍しいね。勇司も今帰り?」
「ああ。……今の誰?」
「クラスメイトだよ」
「付き合ってんの?」
「はは、違うよ」
「ふーん……」
読めねぇ。でも、尚兄は嘘つかねぇよな……。
嘘か真か分からない笑顔をじっと見ていると、ふいに尚兄が俺の口端に触れた。思わずビクッと肩が跳ねる。
「っ、なにして……!」
「あぁ、ごめんね。口のとこ、少し切れてるみたいだったから」
三日前、目つきが悪いせいで睨んでいると因縁をつけられて、他の中学の生徒と喧嘩になった。その時の傷がまだわずかに残っていたのだ。
「こんなん、かすり傷だよ」
「また喧嘩したの?」
「先に喧嘩売ってきたのは向こうだし!」
「暴力はダメだよ」
尚兄がため息混じりに告げて、ポンと俺の頭に手を被せる。嬉しいのは一瞬だけで、すぐに胸がもやもやした。尚兄にとって俺は、いつまで子供なんだろう。三つの年の差以上に距離を感じた。
昔は尚兄に手を引かれて歩いた帰り道を、今は並んで歩く。あの頃と比べたら、身長差は少し縮まったはずだ。
「勇司は志望校もう決めたの?」
「いや、まだだけど……俺は入れるとこに適当に入るよ。
尚兄は? 大学行くんだろ?」
「うん。ちょうど行きたかった大学の指定校推薦がもらえそうなんだ」
「へー、よかったじゃん」
さすが尚兄、俺とは頭の作りが全然違う。
「ちょっと家からは遠いから、ひとり暮らしをすることになりそうだけど」
「え……。尚兄、ひとり暮らしすんの?」
「うん、自立に向けたいい機会だしね」
きっとこうして、尚兄はどんどん俺から離れて行くんだ……。
地元で一番の進学校に通う尚兄と、喧嘩っ早くて成績も悪い俺とじゃ釣り合うわけがない。家がたまたま隣同士だったから俺に構ってくれているだけで、その繋がりがなくなったらもう……。
「じゃあね、勇司……おやすみ」
「あ、おお……」
家の前で別れて、尚兄が帰っていく。好きになればなるほど、尚兄の背中が遠ざかっていくような気がした。
このままじゃダメだ。少しでも尚兄に近づきたい、相応しい人になりたい。
隣家に消えていく尚兄の背中を見送りながら、俺はある決意を固めた。 「それで尚兄と同じ高校に行くことにしたんだ?」
「ああ。同じ学校に入ったところで尚兄とは入れ違いだけど、
とにかく背中を追いかけたかったんだよ。
お前は最後まで冗談かなんかだと思ってたよな」
「だって勇司の成績であの学校に入学できるなんて、天地がひっくり返ってもないと思ってたもん」
「お前なぁ……」
尚兄と同じ高校に行きたい。そう宣言した俺に、尚兄はみんなと同じように目を丸くした。きっと妹から聞いて、俺の成績まで筒抜けだったのだろう。
「担任も母ちゃんも別の学校にしろって言うし……
アイツなんて、未だに俺の高度なギャグだと思ってる。やっぱ無謀なのかな?」
「そんなことないよ。
夏休みだってあるし、勇司が今から一生懸命勉強すれば間に合うよ」
「ほんと!? 俺、めちゃくちゃ勉強するよ!」
「ふふっ。でも、どうして俺と同じ高校に入りたいの?」
「え……まぁなんとなく?あの高校、制服かっこいいし……。
こんな理由じゃダメか?」
「ううん。どんな理由でも、勇司が勉強を頑張ろうって思ってくれて嬉しいよ。
俺は応援するからね、勇司」
そんなふうに言ってくれたのは尚兄だけだ。嬉しくて、胸がぎゅうっと締め付けられる。
「俺、頑張って尚兄と同じ高校に入りたい……。だから……
たまにでいいんだけどさ、俺の勉強みてくれない?
尚兄も受験あるし、忙しいのは分かってるんだけど……俺、勉強のやり方も分かんなくて……」
「いいに決まってる。夏休みは俺の部屋で一緒に勉強しよう」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。でも、ひとつだけ条件があるかな」
そう言うと、尚兄は悪戯っぽい視線を俺に向けて微笑んだ。
「え……なに?」
「もう喧嘩はしないって、俺と約束してくれる?
どんな理由でも暴力に訴えるのは良くないし、勇司が怪我するのは見てられないから……」
心配にそうに眉を下げた尚兄に、二つ返事で頷く。尚兄に勉強をみてもらえるなら、喧嘩を我慢するくらい簡単なことに覚えた。
それから尚兄は、嫌な顔ひとつせず、俺につきっきりで勉強を教えてくれた。
「解けたよ、尚兄!」
「じゃあ、確認するね」
「っ……」
二人きりの部屋で、尚兄が俺の手元を覗き込む。ふわりと石鹸の匂いが鼻先を掠めて、どきりと大きく心臓が跳ねた。
顔が、近い……。
「……勇司?」
「あっ、う、うん……なに、尚兄?」
「すごいよ、10問中8問正解」
「おー、少しはマシになった」
「短期間でここまで解けるようになるなんて、勇司が頑張ってる証拠だよ」
「な、尚兄の教え方がうまいからだよ……」
「不正解だったところも、本当に惜しいミスだったんだよ」
尚兄がそう言って、間違えた問題を丁寧に解説してくれる。ちらちらと視界に入る尚兄の細くて白い首筋や、大きくて筋張った手にドキドキして、そっと視線を逸らした。
今は勉強に集中しないと……。
浮き立つ心を必死に抑えて、覚悟を決める。
高校に合格したら、尚兄に気持ちを伝えよう。 「そう決めたはずだったんだけど……」
俺は気持ちを抑えられず、尚兄の優しさにつけこむようなことを言ってしまったんだ。
「だけど、なによ?」
言葉を詰まらせた俺に、妹がどこか不機嫌そうに尋ねる。
「あ、いやぁー……」
「もういいよ」
尚も口ごもると、妹は呆れたように言い放ち、席を立った。
「どこ行くんだ?」
「お風呂入るの! もう惚気は聞き飽きたし」
「の、のろけじゃねーし! お前が話せって言うから話したんだろ!」
「惚気にしか聞こえませーん」
「……あ、待て!」
最後にひとつ気になることがあって、妹の背中を呼び止める。
「なに?」
「お前、本当に尚兄のことが好きだったのか?」
「好きだったよ。でも、今思えば憧れだったのかもしれないね」
「え?」
「お風呂でもトイレでも英単語ぶつぶつ唱えてたり、
熱出してフラフラになりながら机に噛り付いて勉強続けたり……
勇司はすごく頑張ってたよ。
私は好きな人のために、そこまで一生懸命にはなれない」
「お前……」
実の妹に認めてもらえることが、こんなにも心強いものだったなんて……。
俺たちには、最強の味方が出来たのかもしれない。
「まーお幸せに」
ニッと笑って、妹はリビングを去っていった。
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